この6月に始めた「堀由紀子の早晩・遅晩 ~夜のひとときクラシック~」 は、今回で第4回が終わりました。一晩に2回の公演なので、通算すると8回の公演を行ったことになりますが、88席の小さなホールに、延べ570人を超えるお客様がお越しくださいました。毎回通ってくださった方も少なくありません。それぞれに個性の強い作品を通して、皆さまと豊かな時間を共有できたことを、心から感謝しています。
最近よく考えることは・・・楽譜をみていると、すでにそれぞれの小さな部分にいろんなメッセージが込められていますが、それらのメッセージは目立つ記号や言葉で書かれていることもあるし、音の並び方、上下関係、動き方(リズム)、フレーズを表わす(助けとしての)弧線で書きこまれるなどしていて、あまり目立たなかったり、と、さまざまです。
さて、作曲者本人は、曲を作り始めた時にすでに曲全体の意図(イデー)を明確に持っているわけですから、演奏者はスタート地点からとても大きなハンディを背負っています。曲とつき合い始めた最初の時点で、アプリオリというか、勘で捕まえるしかない全体のヴィジョンと、部分的なメッセージを細かく読み取っていく作業でわかることとを、常に比べて軌道修正をはかりつつ、融合的な全体としての意味をはっきりと発散し、聴く人がピンとくるような音楽を発信して行くことが私の目標なのですが、ほんとうに少しずつではあるけれど目標に近づいてきたように思える反面、いったいいつになったら本当の自由を得て、思う存分に曲を生かすことができるのだろうか、というもどかしさもあります。
話がまどろっこしくなったので、一例をあげると、部分メッセージについて、わかった!と思い込んで(油断して)勝手に弾き込んで行き、数週間くらいたってからふと楽譜を見ると、作曲者の意図とは離れてしまって、自分の勝手な思い込みになっていたりすることがあります。 とはいっても、いつも楽譜と首っ引きでないと心配、というような自立心に欠ける姿勢をとっていたのでは、ろくなこともない、ということはわかる。いろんな解釈があってよい、という意見もよく聞くけれど、違う解釈で打ち出すのなら、作曲者と同じ位か、それを上回るスケールの大きさで違わないとね!! う――ん、年ばかり食ってしまったかな。年の瀬ということもあって、いろんな思いがよぎります。でも、焦ってもしようがないから、ぼちぼち、できることから続けることにします。
来年度は、大学の専任としての仕事が再開するので、ペースは緩くなりますが、軌道に乗ってきたこのシリーズの続きを6月5日(木)に日比谷で、また11月7日に横浜で~堀由紀子のひとときクラシック~ として、同じようなコンセプトでコンサートを行う予定です。少しずつ場所の範囲も広げながら、気長に活動して行きたいと思っていますので、皆さまのご都合が合われる時には、是非ともご参加くださいね。その他のイヴェントについても、決まり次第「コンサート予定」に掲載しますので、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。